唐招提寺のご紹介
唐招提寺派南都六宗の1つである律宗の総本山で、759年に開かれました。
開山は、あの有名な「鑑真和上」です。
日本に正しい仏教を広める為に、聖武天皇の命を受けた日本人の要請に依り、幾度も中国から渡航を試みて753年にやっと来日を果たした鑑真和上。
その時には疲労から目が見えなくなってしまっていたという話は皆さん、ご存知でしょう。
来日した鑑真和上はまず東大寺で5年を過ごして戒律を教え、そののち新田部親王の旧宅を下賜され、そこに759年、戒律を学ぶ者達の為の修行道場(唐律招堤)を開きました。
唐招提寺はそもそもは僧たちが修行をする講堂として建てられ、現在の寺の形になったのは、弟子の如宝の尽力で鑑真和上亡き後だったそうです。
現在では金堂と講堂が奈良時代、天平の雰囲気を伝える貴重な伽藍となっています。
国宝に指定されている金堂は平成11年から約10年を掛け、平成の大修理が行われました。
落慶法要の日の華やかな模様はテレビニュースなどでも伝えられ、金堂は9年ぶりに姿を表しました。
境内には他にも南大門(額は孝謙天皇直筆)、戒壇、宝蔵・経蔵、舎利殿、旧開山堂があり、仏像はじめ、国宝、重要文化財が沢山あります。
また、中興堂のような新しいお堂もあり、中には中興の祖として、覚盛上人と、和上の像を中国にお里帰りさせることに尽力した「昭和の中興」第81世森本孝順長老の両座像が安置されています。
開山御廟は鑑真和上の墓所で、和上は今でもここに眠っています。
今では和上の故郷揚州から贈られた瓊花が植えられ、夏には可憐な花を咲かせています。
鑑真和上の事は、戦前の中国ではほとんど知られない存在でした。
それを知って是非鑑真和上の像を、故郷の中国揚州省にお里帰りさせようではないかと、昭和9年仏教を深く信仰する3人の金沢出身の男性と友人の中国人の合わせて4人が中心となって「鑑真会」を組織し、話を進めていたことは殆ど知られていないことでしょう。
残念ながらこの話は日中戦争で叶う事はありませんでしたが、その後井上靖の「天平の甍」が執筆された事で再び鑑真和上の事が世に知れ渡りました。
そして、当時の唐招提寺の森本孝順長老の熱意により、昭和55年に初めて鑑真和上の像のお里帰りが実現しました。
この間、戦争を挟んで鑑真和上の伝記である「東征伝」が日本語に訳されるなど、途切れては又、お里帰りの話が再び盛り上がるところなどは、鑑真和上が来日を諦めず何度も挑戦したことと通ずるところがあるようにも思われます。
唐招提寺周辺のお薦めグルメ
蕎麦切り よしむら
唐招提寺と薬師寺の間にあるお蕎麦屋さんです。
お薦めは冷たい蕎麦とのことです。
手打ちの十割蕎麦は、細切りでコシもしっかりあり、きちんと打たれた蕎麦と評判です。
かき揚げは塩で頂くと美味しいです。
まぐろ小屋
まぐろ専門のお店です。
まぐろ好きにはたまらない、まぐろ料理が色々揃っている上、安くて新鮮なのが何よりのご馳走です。
マグロのから揚げが一番人気です。
ニーノ
イタリアンのレストランです。
接客態度の良さとパスタやピザはSMLとサイズを選べるので女性会に使われることも多いお店です。
ディナーも美味しいですが、ランチでもサラダ、スープ、パスタ、メイン共に手を抜かず、充分満足出来るお店です。
唐招提寺周辺のお薦めホテル
奈良パークホテル
接客態度がとても良いと評判で、お部屋のお茶も美味しいです。
又、食事は「天平の宴」や「天平の蘇」など古代の料理の再現もあります。
宴会で利用する人も多く、料理が丁度良い温度で運ばれてくるところにホテルの心遣いを感じます。
古いですが、木造のらせん階段があったりとレトロな雰囲気が好きな人には嬉しいホテルです。
奈良ロイヤルホテル
唐招提寺や西大寺、平城京に行くのに便利な位置にあります。
天然温泉の大浴場もあり、広々としたロビーは気持ちもゆったりします。
朝のバイキングが評判で、お庭の緑や滝を見ながら爽やかな朝食を楽しむことが出来ます。
結婚式場もある大きなホテルなので、広くて従業員もよく気が利くホテルです。
秋篠宮様が非公式でお泊りになると言う噂もあるそうです。
平城
高台から奈良市内を一望出来るので、景色が抜群と人気の旅館です。
清潔で広い和室に、その土地ならではの物を使った珍しい料理も好評です。
縁側の椅子の下には岩盤浴のプレートがあり、足の疲れも癒せます。
露天風呂はありませんが、大浴場があるのでのんびりと旅の疲れを癒せます。
全体的に現代的な旅館です。
唐招提寺まとめ
奈良時代からずっと続く古刹です。
平成の大改修も終わり、又新しく未来へ向かって鑑真和上の教えを伝えていくことでしょう。
古いだけあって、境内の苔もとても美しい緑色を放っています。
参拝した後、整然としたお寺の中を散策すれば、心も洗われるような気になると思います。
鑑真和上の苦労と、目が見えなくなっても力強く教えを広めていった精神性を感じることでしょう。