赤間神宮
「耳なし芳一」の舞台となった宮として有名です。
もとは859年建立の阿弥陀寺でしたが、1191年に壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の御影堂が建立されたことに始まります。
御祭神として安徳天皇を祀り、境内には平家一門のお墓もあります。
「耳なし芳一」の話から怨念の怪談の印象がありますが、実は「浄化」のご利益が高いパワースポットとされています。
神宮のシンボルである水天門は唯一の龍宮造りとなっており、海の下にも都を夢見た平家の儚さを思わずにはいられません。
源平合戦の色を濃く残す赤間神社はどこか寂しくもあり、神秘的な空気に包まれています。
歴史好きの人には人気の高いスポットですね。
忌宮神社(いみじんじゃ)
仲哀天皇・神宮皇后が西国平定の際に、仮皇居として興した豊浦宮の旧趾に建立された由緒ある正しい神社です。
九州平定の中、仲哀天皇は崩御、神宮皇后が先陣を切って新羅征討、凱旋した際に中哀天皇の御神霊を豊浦宮に鎮祭したことに始まると伝えられています。
仲哀天皇、神宮皇后を御祭神に祀る長門国二宮と格式高く、文武、勝運、安産の神として朝廷だけでなく武家からの尊崇が厚く、かの足利尊氏も再起祈願で参拝し心願叶ったという逸話も残っています。
古式ゆかしい社殿や境内を歩くだけで、時空を超えた神々のパワーを感じることができる神秘的な神社です。
亀山八幡宮
下関市の中心地に鎮座し、「関の氏神」として親しまれている神社です。
御祭神に応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇の4柱が祀られており、下関市一帯の氏神様として厚い信仰を集めています。
昔はこの地一帯は海に浮かぶ島だったと伝えられています。
創建は859年と古く、宇佐神宮から石清水八幡宮に勧請される途中、この島に停泊した際に御神託を受け、仮殿を造り祀ったことが始まりとされています。
参拝におすすめの季節は夏。
無病息災を願って神輿が関門海峡を一巡する神事「海上渡御」の際に打ち上げられる約2000発の花火は夜空だけでなく海面をも彩り幻想的な世界を魅せてくれますよ。
福徳稲荷神社
下関市稲城山の中腹に鎮座する風光明媚な絶景神社として、知る人ぞ知る観光スポットです。
古歌にも「長門なる稲荷の山の姫あやめ時ならずして如月に咲く」と詠まれているほど、1000年を超す歴史を持つ由緒の古社です。
また全国でも稀な観海の稲荷神社で、本殿から見る響灘を一望できる是色はまさに絶景。
特に、海の波に輝く夕陽に映える朱色の大鳥居、荘厳な社殿は有名です。
御祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおほかみ)を始め3柱で、開運、豊漁のお稲荷さまとして親しまれています。
また、参拝道の「千本鳥居」も圧巻の様。時が経つのを忘れてしまうほどに美しい神社ですよ。
琴崎八幡宮
大分県の宇佐八幡宮(現:宇佐神宮)の御分霊を京都に勧請する際に琴芝の浦に留め、里人が祠を建立したことに始まります。
その後、現在の琴崎の地に遷座し歴代領主から尊崇される神社として手厚い庇護を受け今に至ります。
特に毛利家からの崇敬は篤いものであったと伝えられています。
御祭神は品田和毛命(ほんだわけのみこと)をはじめ足仲津比古命(たらなかつひこのみこと)、気長足日女命(おきながたらしひめのみこと)、宗像三女神で、交通安全の神、縁結び・安産・育児の神を祀る由緒ある神社です。
境内に植栽された見事なもみじは紅葉シーズンでなくとも一見の価値があります。
山口大神宮
伊勢神宮の御分霊を勧請し、「西のお伊勢さん」と親しまれる神社です。
昔から山口は「西の京都」とも称され、1467年に始まった応仁の乱の長引く兵火を逃れた多くの公卿や文化人が移り住んだため、伊勢神宮の参詣の代わりに参拝できるようにと造営されたことに始まります。
御祭神は伊勢神宮と同様に天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)と豊受皇大神(とようけすめおおかみ)、御神徳は安産、長寿とされています。
境内には内宮、外宮もありまるで伊勢神宮かと錯覚するほど。
まるで森のように豊かな緑と静寂に包まれた境内には癒しの気が溢れており、西日本屈指のパワースポットと注目されています。
松陰神社(しょういんじんじゃ)
その名の通り吉田松陰ゆかりの神社です。
松陰の御霊を祀るために杉家の敷地内に小さな祠を建立したことが始まりとされてます。
その後、1970年松下村塾出身の伊藤博文や野村靖が中心に公の神社として創建、今に至ります。
主祭神は吉田矩方命(吉田松陰)、末社である松門神社には伊藤博文、木戸孝正、山県有朋など下村塾の門人が祭神として祀られています。
江戸から明治へ激変する時代を鮮やかに駆け抜けた幕末の志士を多く輩出した松陰の功績に因み、合格祈願にご利益があります。
特に難関である医学部、薬学部といった難関部を目指す受験生が強姦祈願に全国から集まる学問のパワースポットでもあります。
防府天満宮
学問の神様菅原道真公を始めとする4柱を主祭神として祀り、道真公の死後翌年(904年)に創建された日本最初の天満宮です。
道真公が九州の大宰府へ下る際に滞在した地であり、「身は筑紫にて果つるとも、魂魄は必ずこの地に帰り来らん」と誓ったと伝えられています。
京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と共に「日本三大天神」といわれています。
長い歴史の中で社殿は幾度も焼失をしてきましたが、その都度再建、寄進された社殿や石鳥居が建っており、今でも平安時代の優麗繊細な面影を見ることができます。
四季折々に行われる行事の中では、梅が香り豊かに咲き誇る2~3月の「梅まつり」がオススメです。
遠石八幡宮(といしはちまんぐう)
京都石清水八幡宮別と称され、平安朝の頃から参拝者が多く訪れる宮です。
622年宇佐八幡大神のお告げによりご神霊を奉安、708年に社殿を造営したことにその歴史は始まります。
江戸時代には毛利徳山藩主代々から篤く崇敬を受け、周防国の大社として諸国からも多くの参詣を集めたといわれています。
主祭神として誉田別尊(ほんだわけみこと)他4柱を祀っており、八幡大神のご神徳は厄除開運、家内安全、交通安全、必勝などに渡り今もその御神徳を仰ぐ人の参拝が絶えません。
市街地に鎮座しているとは思えないほどの静寂に包まれた境内で悠久の時を感じてみると良いでしょう。
厳島神社
「長門国厳島神社」と呼ばれ、安芸国厳島神社の御分霊を勧請した平家ゆかりの神社です。
創建は1185年、御祭神は市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)、田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)の3柱とされています。
壇ノ浦の合戦で磯辺に放棄されている神器「御鏡太刀様」を里人が見つけ祀ったとされ、平家終焉の地に鎮座する厳島神社は平家滅亡を物語る重要な神社でもあります。
また明治維新では高杉晋作を始め長州騎兵隊が戦勝祈願で参拝したことでも有名で、凱旋の際奉納された大太鼓は今も境内に祀られています。
源平ファンや幕末ファンには魅力的な神社といえましょう。