徳島で参拝しておきたいパワーがもらえる神社10選

大麻比古神社

鳴門市の大麻比古神社は阿波一宮とされ、毎年正月三が日には23万人もの参詣客が訪れます。

 

大麻比古大神と猿田彦大神がまつられ、豊作、厄除けに効果があるとして信仰を集めています。

鬼門や裏鬼門という方角に関する災いを除く方除(ほうよけ)の祈願もしてくれます。

 

徳島県内きってのパワースポットとしても知られ、その中心がご神木の大クスノキです。

高さ20メートル以上、幹回り8メートル以上。

樹齢1,000年を超すと推定され、幹の膨らみが人の顔のように見えるのが特徴です。

 

歩いて回れる範囲に四国霊場一番札所霊山寺やドイツ村公園があり、徳島県北部を代表する観光スポットにもなっています。

 

日峰神社

小松島市の日峰神社は徳島小松島港を見下ろす標高191メートルの日峰山上にあり、天照大神をまつっています。

 

病気療養中や体の弱い人が参拝する神社として有名ですが、それには奈良時代からの伝承が影響しているようです。

当時、今の徳島県である阿波で疫病が流行し、大勢の人が亡くなっていました。

 

これを心配した役人が日峰山上で神事をしたところ、疫病の流行が収まったため、山上に社を建立したとされているのです。

神社にはカニの絵馬を奉納する習わしがあり、信者はカニを食べませんでした。

 

神社で祈祷したところ、田を荒らすカニがいなくなったという言い伝えがあるからだといわれています。

 

津峯神社

阿南市の津峯神社は標高284メートルの津峯山山頂にあり、賀志波比売命(かしはひめのみこと)が主祭神です。

開運延命や病気平癒、海上安全の神として信仰を集めています。

 

もとは奈良時代に神託で国家鎮護、延命長寿の神として賀志波比売命をまつったのが始まりとされ、山中にある大小の洞窟で修験者が修行をしていた土地です。

 

徳島県南部を代表するパワースポットの1つに数えられ、江戸時代には徳島藩主の蜂須賀氏が守護神としていました。

阿南市は紀伊水道に面した漁業の街ですから、漁民が漁期の始まる前に参詣し、安全を祈願する姿が目につきます。

 

伊射奈美神社

美馬市の伊射奈美神社は、古事記や日本書紀に登場する国産み伝説の女神イザナミを社名としています。

平安時代に記載された神社一覧の「延喜式神名帳」では、イザナミと対をなすイザナギを社名とする神社が7つありますが、イザナミを社名とするのはここだけです。

 

女神だけに縁結びや子宝の神様として知られ、恋をしている独身女性や新婚さんにおすすめの場所。

イザナミのパワーに触れれば素敵な男性の心をつかめるかもしれません。

 

創建は平安時代の初期で、もとは別の場所にあり、洪水で流されたため今の場所に移ったと伝えられています。

しかし、それがどこにあったのかは分かっていません。

 

忌部神社

つるぎ町の忌部神社は別名御所神社。

祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)で、木綿や麻を植えた神様だと伝えられています。

 

その子孫が忌部氏で、古代の日本で中臣氏(後の藤原氏)とともに、国家祭祀をつかさどるほか、今の徳島県を開拓し、天皇の即位に際して麻の織り物を献上してきました。

古代の文献にも多く掲載された由緒ある神社ですが、中世の戦乱で所在地が不明になっていました。

 

境内の見どころは吉良のエドヒガンザクラで、県の天然記念物に指定され、春は花見の名所になっています。

縁結びのパワースポットともいわれ、恋を求めて若い女性の参拝客が後を絶ちません。

 

石堂神社

つるぎ町の石堂神社は四国一の大河吉野川に四国山地が迫る標高500メートルほどの山上に建てられています。

展望台からは眼下に吉野川の流れとつるぎ町の街並みが見え、絶景そのもの。

神社の由来は定かになっていませんが、境内に設置されたご神灯には江戸時代の1785年と刻まれています。

 

現在の本堂は明治時代の建立で、天神七代、地神五代をまつり、眼病に効果があると信じられています。

 

神社がある石堂山は標高1,636メートル。

神社はその中腹に位置しています。

昔から修験者の聖地で、戦前まで白衣の行者が多数、詰めかけていたと美馬郡郷土誌に記述されています。

 

白人神社

美馬市の白人神社は四国を代表するパワースポット剣山へ向かう標高50メートルほどの山のふもとにあります。

古墳時代からの伝承が残る場所で、白髪の老人が神々をまつり、神社を置くよう伝えたといわれています。

 

神社につきものの狛犬に代わってウサギが神様の使いとして置かれています。

ご神灯の上に乗っかった姿はかわいいものですが、このウサギに触れると運が開けると伝えられています。

 

梁の上にある蟇股(かえるまた)と呼ばれる部分にもウサギの姿が描かれています。

白人神社の奥社には古代ユダヤの祭祀場と似た不思議な遺跡が残されています。

古代史ファンには注目の場所となりつつあるようです。

 

川島神社

吉野川市の川島神社は、戦国時代に築かれた川島城の二の丸跡にあります。

もとは吉野川の中州で日本最大の川中島だった善入寺島にあった浮島八幡宮です。

 

善入寺島は大正時代まで3,000人もの人が暮らしていましたが、河川改修で遊水地となり、住民が強制的に移転させられたため、神社も他の43社と合祀され、川島城の二の丸跡に移りました。

 

菅原道真ら多くの神様がまつられ、豊作祈願や勉学に効果があると信じる人がたくさんいます。

毎年10月には「七十五膳の神事」が秋の例大祭で営まれ、海や山、川の幸を神前にお供えして五穀豊穣を祈っています。

 

西照神社

美馬市の西照神社は、香川県との県境にある標高946メートルの大滝山山頂に建てられています。

 

日本神話の神である月読命(つきよみ)が主祭神。

創建時期は分かっていませんが、社伝では、月読命が大滝山に監視役を送り、瀬戸内に目を光らせたことが神社の起源とされています。

 

平安時代には弘法大師空海がこの山にこもって修行したため、「西照権現」と呼ばれて長く神仏合体の古刹となってきました。

江戸時代には徳島藩家老の稲田家や高松藩主松平家から手厚く保護されていました。

 

厄除け、子授けの神社として信仰され、厄払いのために訪れる参拝客が多くなっています。

 

宇奈為神社

那賀町の宇奈為神社は豊玉彦命(とよたまひこのみこと)らを主祭神にまつり、地元で十二社神社と呼ばれています。

熊野十二社の神様を移したと伝えられているためです。

 

戦国時代に土佐の大名長宗我部氏が侵攻した際、焼き討ちされたため、創建時期は不明ですが、所蔵品には鎌倉時代のものが多く残っています。

現在の社殿は江戸時代に再建されたものです。

 

境内には熊野本宮、熊野新宮、熊野那智宮など多くの社殿が並んでいますが、神社の中心は熊野権現とされてきました。

安産や夫婦和合、五穀豊穣、長寿などを願い、地元の人たちが訪れています。