愛媛で参拝しておきたいパワーがもらえる神社10選

愛媛大山祇神社

大山祇神社

今治市、しまなみ海道にある大山祇神社は、全国にある山祇神社の総本社です。

御祭神は大山祇神ですが、別名「三島大明神」とも称され、伊豫一の宮、四国唯一の大社です。

 

創建は推古天皇の594年と伝えられ、源氏・平氏をはじめとして多くの武将たちが武具を奉納して武運長久を祈りました。

その為海の守護神として崇められ、現在でも海上自衛多や海上保安庁の幹部たちの参拝があります。

 

奉納された武具類は宝物館に展示されていますが、刀剣、鎧兜、鏡等々、国宝8軒、重要文化財76件にも及びます。

参拝の後は是非寄って見ることをお薦めします。

 

その他、境内には樹齢2600年の楠や「生樹の御門」という幹の根元に開いた空洞をくぐると奥の院へ続いていたりと、境内は見どころいっぱいです。

 

愛媛縣護國神社

愛媛縣護国神社は、松山市にあります。

明治32年「私祭招魂社」として創建された愛媛縣護国神社は、明治時代の戊辰戦争から大東亜戦争に至るまでの愛媛県出身の戦没者国や、その後は社会の為に力を尽くした人や、愛媛の産業に貢献した功労者、又消防・警察・自衛隊の公務殉者を御祭神としてお祀りしています。

その為、皇室の方々の御参拝も多く受けています。

 

又、拝殿へ続く神門の手前には、馬の像や特攻隊顕彰碑、零戦のプロペラ等が建てられています。

靖国神社と同じく、戦で命を落とされた英霊をお祀りしている神社ですので、愛媛県に行かれた際には手を合わせ、現代の私達も平和への誓いを新たにしたいものです。

 

伊豫豆比古命神社

松山市にある伊豫豆比古命神社は、御祭神として伊豫豆比古命(男神)、伊豫豆比売命(女神)、伊与主命(男神)、愛比売命(女神)をお祀りしています。

 

創建2000余年の歴史を持つ由緒ある神社です。

明治時代の廃藩置県に於いても、御祭神の一柱「愛比売命」から「愛媛県」と名付けられたそうです。

都道府県の名に神様のお名前を付けたのは愛媛県だけと言われています。

 

縁起開運・商売繁盛の神様として四国はもちろん、全国から参拝者が訪れる神社です。

 

境内は常に綺麗であるよう、社殿や楼門、鳥居などを定期的に修理、建て直しをして、参拝者が「又来たい」と思ってくれるようにしています。

 

和霊神社

愛媛和霊神社

 

和霊神社は宇和島市にあります。

祭神は伊達秀宗の家臣で、この地の産業の振興、民生の安定に尽くした山家清兵衛です。

 

清兵衛は1620年に殺されましたが、その後彼を殺した件に関係した者達が次々と海難や落雷等で変死した為、これが清兵衛の祟りと恐れられ、彼の霊を和霊神社として祀ったそうです。

その為民衆の守護神として信仰を集めてきました。

 

和霊神社の石の鳥居はなんと日本一の大きさがあります。

四国でも大社の部類に入るだけあり、拝殿には立派なしめ縄が掛けられ、出雲大社を思い起こさせます。

また、日本一の鳥居の他、「日本一のお多福面」と「日本一の鼻高面」を合わせて「日本一が3つある」とされているのも見ものです。

 

石鎚神社

西条市にある石鎚神社は日本七霊山の一つ、霊峰石鎚山を神体山とする神社です。

頂上社、中腹に成就社と土小屋遥拝殿、そして、国道近くにある本社の四社を合わせて石鎚神社と言います。

山頂にある頂上社までは、国定公園に喪指定された豊かな自然に囲まれたパワースポットです。

 

古来より山岳信仰の山として、奈良時代には既に修行道場として知られていました。

あの弘法大師もこの地で修行したと伝えられています。

 

山頂からは人を寄せ付けないような厳しさと神々しさを持った山々が見渡され、天候が良ければ瀬戸内海やしまなみ海道や九州の九重連山まで見えることもあるそうです。

 

野間神社

野間神社は今治市にあります。

創建は不詳ですが、一説には701年ともされています。

 

最初は牛頭天皇を御祭神をしていましたが、現在の御祭神は飽速玉命、若彌尾命、須佐之男命、野間姫命の四柱です。

神社の名前から、当初は野間姫命が主祭神では無かったかと言う説もあります。

 

野間姫命は草木租神とされ、自然と共に家を守って下さる神様です。

草木の緑のエネルギーは人間をリラックスさせてもくれます。

 

鳥居をくぐった参道には猿田彦社があり、神門をくぐると拝殿があります。

奥の本殿も立派な造りです。

 

本殿より奥の山の中に大きな岩があり、それがこの神社の奥の韻になっているということですが、夏はマムシが出ることがあるので注意しましょう。

 

伊曽乃神社

西条市にある磯の神社の御祭神は伊曽乃神ですが、これは天照大神の荒魂を表します。

 

創建は成務天皇の時代西暦137年です。

景行天皇の皇子武國凝別命は国土開発の命を受け、伊予の地に赴任され、天照大神を奉じて領民を慈しみ皇威を広めたという事です。

 

そこで、命の子孫が天照大神に武國凝別命を合わせてお祀りしたのが伊曽乃神社の始まりです。

1141年には神格正一位という極位に達し、霊験あらたかな神社であることが広く知られるようになりました。

淳仁天皇の時代に新羅討伐に対する祈願がなされてからは、海賊平定や武運長久や海の守護神としても崇められてきました。

 

綱敷天満神社

今治市にある綱敷天満宮は言わずと知れた菅原道真をお祀りする神社です。

 

平安時代初め、盛装に敗れた道真は大宰府へと流されます。

しかし、途中で乗っていた船が遭難。漁師に助けられたのが今治、志島ヶ原だったのです。

その時、道真公に座ってもらう敷物が無く、代わりに漁師たちが差し出したのが漁で使う網だったことから「綱敷」が社名となったそうです。

 

広い境内には道真公由来の物が多く見られ例えば道真公が衣を乾かしたとされる衣干し岩等を見ると、実際に道真公がここにいらしたのだなと感じることが出来ます。

また梅を愛した道真公の為に600本以上の梅が植えられています。

 

飯積神社

西条市にある飯積神社の御祭神は倉稲魂命、國魂愛比売、十城別王、足仲彦尊、気長足姫尊の五柱の神様です。

 

創建はかなり昔と言うだけで、はっきりした記録は残っていません。

伊曽乃神社の御祭神、武國凝別命の孫である十城別命が食物の神・倉稲魂命を祀ると共に、現地の人々が古来より祀って来た国魂愛比売を合わせ祀ったのが神社の始まりと言われています。

領民達が食べ物に困らないように、豊作を願った十城別命の気持ちがよく表れていると思います。

 

また、その頃道後の湯に赴かれた仲哀天皇と神功皇后が鎮魂歳をされたそうです。

神社の祭礼には金糸銀糸で彩られた太鼓台が11台も出て、神輿と「かきくらべ」が行われますが、夜まで続くとても勇壮で華やかなお祭りとして有名です。

 

三島神社

愛媛には三島神社が沢山ありますが、こちらの三島神社は四国中央市にあり、全国の三島神社の総本社の一つです。

 

720年、宇摩の大領越智玉澄が、今治市の大山祇神社の御祭神、大山積神を勧請して創建されました。

立派な大鳥居をくぐると、又立派な神門がそびえています。

 

この神社には「盤座(いわくら)」という縄文時代の石群が残っているのです。

そして、ここは入ることは出来ません。

恐らく縄文時代の人達の聖域だった所なのでしょう。

 

もう1つ「龍宝石」という石もあります。

300年程前、沖合のこの竜宮のような石の近くでいつも鯛が取れると聞いた庄屋が、自分の庭に4か月かけて運びました。

 

ところがそれ以来庄屋の家では不幸な事が続きました。

拝んでもらった所、「毎日に綺麗な海水を汲んでこの石にかけ、海の神様をお祀りしなさい」とのお告げがありました。

 

庄屋はそのようにして不幸から救われました。

その子孫が三島神社に寄付したのが「龍宝石」です。

とても不思議な感じがする石です。

見る価値はあると思いますよ。