霧島神宮
霧島市ある霧島神宮は、御祭神として邇邇芸命をお祀りしています。
相殿神も木花咲耶姫尊や豊玉姫尊等、神話時代の神々が祀られている由緒正しき神社です。
主祭神邇邇芸命は、天照大神から三種の神器と稲穂を授けられ、高千穂の峰に降臨されました。
その高千穂の峰こそ、霧島神宮野背後に聳える山々です。
頂上には今でも「天の逆鉾」が刺さっていて、坂本龍馬等も見ていますね。
朱塗りの鳥居や本殿、拝殿、勅使門等絢爛とした美が感じられる神社であり、国の重要文化財の指定を受けています。
境内には「君が代」に詠われている「さざれ石」も見ることが出来ます。
長寿を祈ることも出来るでしょう。
鹿児島神宮
彦火火出見命とその妻豊玉姫尊を主祭神とする鹿児島神宮は霧島市にあります。
創建は神武天皇とも言われています。
明治28年に官幣大社に格されてからは大隅地方の一之宮とされ、天皇、勅使、皇族方の参拝も二十何度にも及んでいます。
漆塗りの現本殿は、島津重年公に依って再建された物で、木造建築では日本一の広さを誇ります。
本殿の格子天井には草花の絵が美しく描かれ、一見の価値があります。
夫婦神が祀られていることから、縁結び、家内安全の御利益が高く、又高位の神様方なので、心からお祈りすれば願い事もきっと叶います。
大野嶽神社
南九州市にあるこの神社は、多岐理毘売命、活津日子根命、愛宕大明神、熊野大隅命、菅原天神の五柱をお祀りしています。
お賽銭は108円、若しくは自分の年齢の数だけお供えすると健康・長寿に恵まれると拝殿に書いてあります。
108円は茶寿である108歳に因んでいるようです。
拝殿までは朱塗りの鳥居ですが、拝殿横の石の鳥居をくぐると、大きな仁王像があります。
この像は明治時代の廃仏毀釈の折、頭の一部と腕を壊されたままの姿を残している珍しい像です。
自分の身体の不調な所と同じ部位を撫でると良くなるとされています。
都萬神社(妻萬神社)
曽根郡大崎町にあるこの神社は木花咲耶姫命と立述主命(山幸彦)が祭神です。
木花咲耶姫命はお乳の神様とされる為、安産にも御利益があると言われています。
創建年代は不詳ですが、日向国五郡の各郡に一社ずつあった都萬神社の本社として、この地の都萬神社が「五社大明神」と称しました。
拝殿の横にシュロの木もあり、南国の雰囲気もたたえた神社です。
又、木花咲耶姫命は邇邇芸命の皇后であることから、「つまの宮」とも称されました。
国指定重要文化財の銅鏡、古文書、神楽面等が保存され、又、戦争で途絶えていた神舞が、地域住民に依って2010年に復活しました。
そして、平成21年に社殿は国の登録有形文化財に登録されました。
安楽山宮神社
志布志市にあります。
御祭神は天智天皇、持統天皇、玉依姫、大友皇子、乙姫、倭姫です。
創建は709年とされ、平安時代からの宝物が多数保管されている点から、かなり古くに創建されたのは確実なようです。
境内には高さ23.6m、幹周り17.1m、推定樹齢1,000年と言われる楠の巨木があり、「志布志の大クス」という名称で親しまれ、又、国の天然記念物にも指定されています。
この古い楠もパワースポットと呼ぶに相応しい歴史を重ねてきていると思います。
そっと手をかざしたり、耳を当てたりしてみるとパワーを頂けるでしょう。
照国神社
鹿児島市照国町にあるのが照国神社です。
鹿児島の総氏神様として、多くの人々に信仰されているこの神社の御祭神は、島津斉彬公です。
斉彬公の生前のご遺徳を偲ぶ領民達の願いで神社設立の運動が怒り、1863年勅令によって「照国大明神」の神号を授けられました。
又、斉彬公は天照大神が岩戸から出られた時からこの日本は始まったとして、日の丸を考案したことでも知られています。
このように学問を奨励し、西洋文明を積極的に取り入れられた斉彬公ですから、学問の神様としても敬われています。
枚聞神社
創建は遠く神代の時代と伝わる枚聞神社は指宿市にあります。
御祭神は「大日るめむなち命(天照大神の別名)」です。
明治以降に天照大神のお子様方八柱が合祀されました。
伊勢神宮と同じく霊験あらたかな神社です。
薩摩富士と呼ばれる開聞岳を御神体として人々は信仰してきました。
神話と現在が繋がる日本ですが、この開聞岳も海の神様豊玉姫命が住んでいた「竜宮界」であり、そこに山幸彦が辿り着いたという言い伝えも残っています。
勅使殿を通った後ろに拝殿と本殿があります。
総てが朱塗りで、勅使殿の屋根の造りなど勅使を迎えるに相応しい荘厳な造りです。
揖宿神社
指宿市にある揖宿神社は、天智天皇が706年薩摩地方に御臨幸の際、この地に創建されました。
その後度重なる山の噴火で、現在の位置に鎮座され、地方開拓の租神、航海安全、諸業繁栄の守護神として崇拝されてきました。
特に薩摩藩代々の藩主の信仰が厚く、32度に及ぶ改修は総て藩費で賄われてきました。
境内には社殿以外にも、日本庭園もあり、又、樹齢1,130年、目通り8mを超える大楠が8本、樹齢500年の大銀杏、椋等の大樹が群生し、森を形成しています。
ここには縄文以来の森があると思われ、現在この森を守ろうという運動がなされています。
このお陰で神威も失われることも無いでしょう。
花尾神社
源頼朝の側室丹後の局は、正妻北条政子に依って追放されますが、後に男の子を産みます。
この男の子が薩摩藩租の島津忠久だとされ、薩摩の守護職に任じられた時、実父頼朝公の像を花尾山の麓に安置したのが創建だと言われています。
社殿は「さつま日光」と呼ばれる程極彩色の彫刻や装飾で覆われ、日光東照宮を思わせる造りになっていて、なかなか華やかです。
境内にある丹後の局のお墓には「御苔石」があり、昔から安産や子授かりを願って表面が削られた石塔があります。
宝物として、丹後の局の宝剣、鏡3面、頼朝公の御笏、直筆2福等が残っています。
和気神社
古くは和気氏一族の氏神として「ぬで石別命」が祀られていましたが、後に和気清麻呂等の神々が合祀されました。
道鏡事件で宇佐の御神託を伝えた和気清麻呂は、鹿児島県に流罪になりました。
途中刺客に襲われながらも猪に助けられ、無事に鹿児島に着きました。
2年後、称徳天皇の崩御に依り、清麻呂公は京都で本位に復すことが出来ました。
清麻呂公の御神徳としては、足腰・健康の守護、安産(子供の守り神)、合格・学業成就、厄除開運、一願成就、土木建築と多岐に亘っています。
境内には清麻呂公をお守りし、ご案内した猪が狛犬の代わりに狛猪として守護しているのも、この神社独特の面白いところです。